コラム

数学ほど優れた言語はない...と思う

作成日:20190509  テーマ1:基礎科学  テーマ2:数学  テーマ3:


私たちは普段何気なく言葉を使ってコミュニケーションをとっている。
にもかかわらず、結構相手の言っていることを誤解することが多い。
何故なら、意外にも言葉とはあいまいなもので、文脈や声のニュアンスなどで意味が変わってしまうからである。

例えば「あほか」という言葉、単純にこれだけを見れば相手を侮辱しているように思える。
しかし、文脈によっては親近感を表す言葉になったり、人によっては接尾語として使う場合もある。
つまり、「あほか」は憎悪表現にもなるし、愛情表現にもなるし、ただ単なる韻として意味のない言葉にもなる、非常に厄介なものである。このような言葉は他にもある。

それでもたまに誤解するとはいえ、これでコミュニケーションが成り立っている、ということは、言葉を話す人たちがどれだけ高度な判断を瞬時にしているか?ということがわかる。そう考えれば、ほとんどの人は非常に高度な解釈力を持っている、と言えるだろう。
考えようによっては、人間のコミュニケーションとは“やじろべー”のようにふらふら揺れ動きながらバランスをとった状態を続けている、とも考えられるだろう。

でも、実はもっと確実性の高いコミュニケーションツールが存在する。
それが“数学”である。
数学がコミュニケーションツール?と思われるかもしれないが、れっきとしたコミュニケーションツールである。
何故なら、数式や論理記号による表現は、どんな国の人であっても数学さえ学んでいれば通じるのである。それは英語や中国語の比ではない。どんな言葉を話そうが、書こうがそんなのは関係なく、みんな同じ記号、ルールに則ってコミュニケーションをとっているのである。また、定義によってあいまいさが排除されているので、文脈や状況に応じて意味が変質することもない。

例を示そう。
1+1=2。これはどんな国の人にも通じる。
A∧B。AであってBでもある、これもどんな国の人にも通じる。
他にもたくさんあるが、キリがないのでこれぐらいにしておく。

じゃ~、世界すべての人の公用語を数学にすればいいじゃないか?となるが、そこは残念なことに情緒的な表現は数学では非常に難しい、というかできない。
もう一つの問題は、数学の表現は非常に抽象的で理解するのが難しい、ということが挙げられる。
なぜ抽象的なのか?それは数学の目指すところが、汎用化であり、数学上の法則に則るありとあらゆる事象に対して適用できるよう一般性を持たせるところにあるためである。
具体的な縛りを入れた瞬間、数学的には非常に興味の薄いものになる。どれだけ幅広く適用できる、一般性の強い法則を見出せるか、そこに大きな価値があるからである。

残念ながら、よほど頭の良い人でない限り、抽象的な話を即座に具体的な事例に結び付けられはしない。そこが数学の残念なところである。数学ができる人は頭がよく見えるのはこういったところがあるためかもしれない。

ついでに言っておくと、数学の本質について理解しているつもりの人がほとんどで(私を含め)、真にその本質に迫れているひとはごく一握りの、本当にすごいCPUの持ち主だけである。なので、数学ができない、あるいは苦手でも全然問題はない。ただ、いろいろと損はするかもしれないが...。